2010/9/5 日記がわりのブログ「きっとどこかに集まる部屋が」に載せたものをこちらに転載いたします。
このブログは、「きっとどこかに集まる部屋が」とは別に短歌観賞のみに使おうとおもって設定したまままったく使っていないというものです(汗)
「きっとどこかに集まる部屋が」は現在休止中です。ご了承ください。
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斉藤そよさんの 『メトロノームの音がきこえる』。
文庫本というのに、まずやられました。文庫本で自費出版ができるなんて、おもってもみなかったので、調べもしていませんでした。自費出版で歌集を出す(のか慣例になっている)「歌人」に分類される自分としては、それがまずショックでした。
表紙の写真もやさしくて、そのように手にとりやすい、手にとってこわくないのが、もうすでにそよさんの持ち味と一致しているとおもいます。
一首のなかに、むつかしい言葉もなく、ひらがなも多く使われた、目にして大変読みやすい歌です。強い言葉、きつい表現もなく、ほんとうに短歌を読みなれていない方にも、すんなり読むことができる歌だとおもいます。
けれど、読んでいると、そのやわらかさは、なんというか、生ぬるいものではないということがだんだんわかってきます。
傷つけばいたわりあえる距離のひと 傷つけあえる近さではなく / 斉藤そよ
たった三十一文字で、人と人の関係性の本質のようなものをついている、それがまたきつい言い方ではなくなされているのに驚きます。
お互い、なにかそれぞれの事情で傷ついている、それを知れば、そのことをいたわりあうことはできる。でもお互い傷つけあえるほど近い関係ではない。傷つけあえるほどの関係というのは肉親とか、とても親しい、近しい間柄ということになります。でも、ここではお互い直接そうなるほど近いわけではない関係ということです、が、それゆえにいたわりあうこともできるのです。いたわりあうには距離が必要です。
たとえば、そのひとが自分の想いを寄せるひとなら、傷つけあえるほどの近さではないことをもどかしくおもうのかもしれません。
そして、このように人の本質をつくような内容であって、なお、言葉遊びの要素も維持されています。
「傷つく」 「いたわりあえる」 「傷つけあえる」 という言葉のまわし方で、一首にリズムも生まれています。
つつしんでたまわりましょう とおせんぼ 物干し竿にならぶTシャツ
これも、物干し竿にそでを通してT字型に干されているTシャツをみて、の歌なのですが、そのT字型は「とおせんぼ」であり、それを「つつしんでたまわりましょう」という。深刻なところがおもわせぶりに出ずに、日常生活のちょっとしたおもうようにならないことをそのように言うことで、ちょっとしたユーモアさえ生まれます。
冴え冴えと月が照らせばおんな湯にいくつも浮かぶよくないこころ
これもTシャツの歌とおなじユーモアをかんじます、女性なら誰でも、くすっというか、うわっとおもうのではないでしょうか。
どちらかが力を抜けばせっかくの矛盾すんなり正されてゆく
弓なりにしなったままの三月の枝にまだ降る雪の伝言
汗かきのつららが告げるここからは春ここからはとめどなく春
これは、表現としてもとても冴えをみせている歌だとおもいます。緊張関係にあることの固さで矛盾が生じているのを、どちらかが力を抜くとその矛盾がなくなる。人間関係としては、そちらのほうが円滑にゆくはずなのですが、それを「せっかくの矛盾」という。せっかく矛盾しているのに、それがなくなる、とむしろ残念そう。その緊張関係のなかになるなにかを楽しんでいる。
弓なりにしなったままの三月の枝、というのは、もう春も近いのにまだたくさんの雪が積もってしなったままの枝、ということなのだとおもうけれど、そこにまだ雪が降る。それは伝えたいことがまだまだあるからだという。
汗かきのつらら、というのがもう秀逸だとおもうのですが、暖かくなってどんどん溶けるつららのその様子を「ここから」をリフレインさせて、さらに二度目に「とめどなく」ということによって、ほんとうにつららがどんどんとけている様子も目に浮かび、春先のあの雪解けの水の音も聞こえるようです。
「あの夏」と呼べば思い出めいてきてどの夏も襟をただしはじめる
このようにやさしく歌って、しかしそれがノスタルジックにならないように、自分で襟をただしているところもちゃんとうかがえるのです。
そのままにしておくためにけんめいにいつかつくった帽子のへこみ
これは一読してわかるように、俵万智の「思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ」の本歌取り。「けんめいにつくった」ということは、そこに作為があるということで、本歌取りという「二番手」の役目もちゃんと果たしている。短歌的な遺産もちゃんと自分のものにしているということだ。
このやわらかい歌のなかに、きちんと技法や人間の性質がおりこまれていて、ほんとうにすごいなあとおもう。そして、それが理屈っぽくなく、ちゃんと歌のリズムにのっている。
ゆきよゆき 絶対的な肯定がぬくもりよりもほしい夜です / 斉藤そよ
これは、一番さいしょに引いた歌と共通するところがあるとおもう。ぬくもりを得ることは、実はそんなにむつかしくないだろう。けれど、それよりは「絶対的な肯定」がほしいという。それは、傷つけあうようなきびしいことを経ないと得られないものかもしれない。でもそういうものがちゃんと存在することを知っていて、それは北海道の雪深い、自然の厳しいところで生活されていることと深いかかわりがあるとおもわれるけれど、それを、声高にではなく、あくまでしんしんといつの間にかあたりを真っ白にしてしまう雪のように静かに歌にしている。
そのように、このちいさな文庫本から、「しんしんとメトロノームの音がきこえる」ようだ。
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