忘れればいいのに君を巡らせて汽車の窓より日本海来る / 岡崎裕美子(『発芽』2005年)
忘れればいいのに、というのは、ぜんぶだろう。いいことも、わるいことも、ぜんぶ。
なのに、わざわざ日本海まで「汽車」に乗ってきている。日本海、というのが型どおりにちょっとどうにもならなくなった感のある男女の来る場所として利用されている。
「君を巡らせて」、日本海に沿って「汽車」がカーブを描いてゆくところがみえる気がする。でも、「君を巡らせて」、カーブに沿って巡っているのは君。そして日本海が窓の外からせまってくる。動いているのは「汽車」なんだけれど、でも、日本海のほうから窓の中に入ってくるようだ。
<わたし>もいっしょにそこにいるのに、<わたし>はまったく動いていないようにみえる。
たぶん、きっと動けないのだ。おなじところを思考がぐるぐるめぐって。「忘れればいいのに」それもできなくて。
だから、「君を巡らせて」いる。自分のまわりで君が巡って、日本海に沿って。君といっしょに<わたし>の頭の中も巡っているのだ、きっと。
わたしと君を乗せた汽車がカーブを描いて、日本海沿いを巡るのが、汽車の窓ぜんぶから日本海がみわたせるのが、目の前にみえるよう。
岡崎さんの歌は、性愛の歌や、こうした男女のどん詰まり感(?)をあらわした歌が多いけれど、こんなふうに頭を通しているので、肉体的エロティックなかんじは、実はあまり受けない。あくまで思考のなかにあるような気がする。
けれど、この思考が巡ることでうつくしいカーブが描きだされているとおもう。「君を巡らせて」、「汽車の窓より日本海来る」、歌のなかでとても響き合っている。
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